大雪の候。山は雪に覆われて、冬の到来が目に見えてわかる時節になりました。四季折々の美しさを「雪月花」というように、純白の雪には独特の魅力があり、それを表すことばも数え切れないほどあります。

太宰治の小説『津軽』の冒頭には、東北地方の「津軽の雪」として、「こな雪 つぶ雪 わた雪 みづ雪 かた雪 ざらめ雪 こほり雪」の七つが挙げられています。新沼謙治さんも「津軽恋女」で雪を歌っています。ひとつひとつの雪の名前からは、その情景が浮かんできます。寒く冷たく、ときには煩わしい雪にでさえも、美しい名や言葉を与えた日本人の感性は、大切に受け継ぎたいものです。

合掌

我が里に 大雪降れり 大原の
古りにし里に 降らまくは後

天武天皇 万葉集・巻ニ

12月8日は釈迦が成道した日として知られています。今から凡そ2600年前、今のネパール国で青年ゴータマ・シッタールダ王子が三十五歳の12月8日、ブッダガヤの菩提樹の下で悟りを開いてから、仏陀(覚者)となり、八十歳で亡くなるまでの45年間、私たちに教えてきたのは、「どんな人も本当の幸福になる道」でした。仏教を聞くことにより、心の長者になれるのだといわれます。

今日でも、長者番付などと使われるように、お金や物に恵まれた人を長者といいますが、お釈迦さまは、そんな長者にも三通りあると説いています。一つには家の長者、二つには身の長者、三つめは心の長者だといいます。

一つめの家の長者とは、「はたらく」とは傍(周囲の人々)を楽にすることだから、本来「人の幸せのために努力する」こと。そんな「自利利他(自分以外の人を幸せにするままが、自分が恵まれること)」に生きる人こそ、家の長者になれるのだと言われます。

二つめの身の長者とは、どんな病であっても、その苦しみはとても辛いものです。よって健康に恵まれた人は、本当に幸せな人です。「和顔愛語(和やかな笑顔と、相手を気遣う優しい言葉)」を心がける人は、他人に幸せを振りまく人だから、必ず幸せが巡ってくるのだよと教えておられます。

三つめの心の長者とは、心に安寧を得た人のことだと説かれています。人間に生まれてよかった。生きてきてよかったと、生命の歓喜にふるえ、永遠の魂の喜びを知った人こそが、心の長者だと説かれるのです。

今年もあっという間にはや十二月。平成三十年を遥か先に感じた方もあったでしょうが、もう目の前です。私たちの人生も、振り返ってみれば「一炊の夢(中国の故事で、人生の栄華の儚さの喩え)」の如き儚いものです。どんな栄耀栄華も、ほんのささやかな、一瞬の幸せにすぎません。そんなシャボン玉のように、フワフワ浮いてパチンと消える幸せではなく、永遠不滅の幸福を、お釈迦さまは求められたのです。それこそが、「心の長者」なのです。

釈 正輪 拜