わが家のうら庭に立ち並ぶ、菩提樹、沙羅双樹、山法師は、朔風が枝に残る枯葉を、すっかり払い落としていきました。残るは寒々とした冬枯れた裸木の冬木立。いよいよ本格的な冬の到来です。ついこの間まで里山は、目も覚めるような、あざやかな赤や黄色に染まっていたのに、冬将軍が木の葉を払い落としたあとにやってくるのは、冷気が張りつめた無彩色の世界です。

寒林という言葉がありますが、柿の木も桜も楓も凛として立ち尽くす、真冬の光景に変わります。冬木の枝と枝の間から、こぼれる冬の星座の煌きが印象的な季節でもあります。

合掌

大空に 伸び傾ける 冬木かな

高浜虚子

六波羅蜜(六度万行)の三番目に、忍辱(忍耐)があります。忍辱(にんにく)とは、怒りの心を堪え忍ぶことです。お釈迦さまは、「智恵ある者に怒りなし。怒りに怒りをもって報いるは、げに愚か者のしわざなり」と戒められています。昨今は腹立ち紛れに起こす傷害や、殺人事件が後を絶ちません。日々の新聞、テレビで報じられています。

腹を立てれば気分も悪くなり、体力や精神力が奪われると、理屈は分かっていても、なぜ私たちは腹を立てずにいられないのでしょう。私たちは、侮辱されたり、傷つけられると、プライドを守らねばと躍起になります。自己の正当性を主張せずにはおれないからです。

皆、自分は正しい、間違っているのは相手だと思っているのです。また自分は直すところなどない。と自惚れている時に、間違いや不備を指摘されると腹が立つものです。怒りの原因は、この「自分は常に正しい」という、誤った認識なのです。他人から注意してもらえるのは、実はとても有難いことなのです。

指摘されたところを正して、自分が向上すればよいのであって、自分は駄目なんだと、落ち込む必要もないのです。的外れな非難は、聞き流すことも一つの工夫ですが、当たってる指摘ならば、私を向上させるための忠告と、ありがたく頂いていけばよいのです。

そのためには、私たちは日ごろから、謙虚であることが大切なのです。

釈 正輪 拜