朝夕はめっきり冷え込んできました。二十四節気七十二候(ななじゅうにこう)の中では、今ごろの時期を「蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく)」と表現します。これは、虫たちが十月の声を聞くと、早くも土の中へ巣籠もりの支度をはじめ、翌春の啓蟄までは冬ごもりをするという意味です。

人間には快適な時期を迎えるのですが、寒さが苦手な虫たちにとっては限界です。

「穴惑」という季の言葉がありますが、土にもぐるのは虫たちばかりではなく、蛇が穴に入るのも、やはりこの頃だと言われます。蛇は数匹から数千匹が、一緒にぞろぞろと潜り込み、一つの穴の中で、お互いに絡みあって暖を取り合うそうです。

ところが、いつまでも地上でもたもたと徘徊している蛇もいるそうで、これが秋の季語とされる「穴惑」になっています。そういえば修行時代、四十九間窟に篭っていたときでした。やはり石と石の隙間に、十数匹のマムシが居て、私は彼等とともに生活をしていたのを思い出しました。

合掌

蛇穴や 西日さしこむ 二三寸

村上鬼城

丹羽文雄という作家をご存知でしょうか。

浄土真宗高田派の寺に生まれ、一旦は僧職に就くもののやがて僧職を捨てますが、歳を重ねるにつれ自身の根源が仏教にあることを思い知り、浄土真宗の開祖である親鸞と真摯に向き合いました。人として生まれ、人として生きた親鸞が味わった苦難、親鸞が絶望を正面から向き合った慟哭を、小説「親鸞」で表現します。宗教文学の傑作として君臨しています。

四歳で母に捨てられた丹羽は、その母への思慕を描いた私小説で文壇に登場します。何故母は自分を捨てたのか。ショキングなその理由を後年、「菩提樹」という作品に記しています。婿養子であった父と義母(丹羽の祖母)が男女関係にあってからだ、と。

出自への絶望が、彼を親鸞の教えに傾倒させたのは想像に難くありません。ですが、その出遭いが彼の生涯の喜びとなったのです。自ら親鸞を描いた小説のあとがきに、このように述べています。

「親鸞を身近に感じるようになったのは、生母の問題があったからで、そのときから親鸞の教えが、私の現実となった。(略)親鸞の他力思想の底には、はかりしれない罪の意識、その絶望、その懺悔をみることができる。それが八百年後の今日の私の胸にも強烈にひびく。同時にあの讃款は、絶望と懺悔にいりまじって、「運命」の交響楽のように力強く、しかもなまなましく私の胸の中に鳴りわたる。しかもそのことばは、いままで誰からも聞かされたことのない声で語られているのだ」「親鸞聖人その大きさの麓の一角にようやく辿りついたという気持ちである」(親鸞(あとがき))

親鸞のようなひとにめぐり会えたことは
一介の文学者としても、人間としても
生涯のよろこびである

丹羽文雄・『親鸞』

釈 正輪 拜