吹くからに 秋の草木の 萎るれば
むべ山風を 嵐といふらむ

文屋康秀「古今和歌集・百人一首」

暑い暑いと言うも、朝夕には涼しさを感じられる今日この頃。そろそろ夜の虫の声に、秋の気配が漂います。

同時に台風シーズンの到来です。台風のことを、古くは「野の草を分けるほどの激しい風」の意味から「野分」と呼びました。『源氏物語』「野分」巻では、秋の花が美しい盛りの六条院を野分が襲い、暴風が室内のさまざまなものを吹き倒したせいで、普段は固く閉ざされて覗くことのできない深窓があらわになってしまいます。得体の知れない台風に恐れを抱きながら、生活していたのでしょう。

合掌

最近このような相談を受けました。

沖縄出身のMさん(30代女性)は、家族でユタと呼ばれる霊媒師を信じていました。幼い頃、祖母が家族の悩みをユタに話すと、「八代前の先祖を供養していないから」と言われたので、仏壇に位牌をズラリと並べて手を合わせ、毎年、墓の前で食事をして供養したと言います。それでも不幸がやってくると、「今度は十代前の先祖だ」と説明を受け、キリのない先祖供養が続いたと言いいます。

やがて就職したMさんは上司との関係に苦しみ、職場を転々とし、現在もそれが続いているといいます。彼女は「先祖を大事にしてきたのに、何故上手くいかないのでしょうか」との悩みでした。

私は「運命は自分の行いで決める」と仏教の教えを説いてあげました。Mさんのように、不幸の原因を「先祖」だと思っている人は少なくありません。しかしお釈迦さまは、幸せも不幸も運命の全ては自分のまいたタネ(行い)が生み出したものにほかならないと教えられています。では行為が運命を生み出す仕組みとはどのようなものでしょうか。

お釈迦さまは、私たちが心と口と身で造る一切の行いは、目に見えない力となって本人に蓄えられ、決して消えないと説かれています。これを「業力」とも「業因」ともいわれています。この目に見えない業因がネタとなり、それに「縁」が加わった時、目に見える結果、運命が現れるのです。悪い行いは悪業力となって本人に残り、縁と結びついた時、恐ろしい悪果を引き起こします。

また善い行いは善業力となって残り、縁と結びついた時、幸せという結果となって現れます。『まかぬタネは生えぬが、まいたタネは縁にあえば必ず生える』のです。この因縁果の法則を知れば、逆境の時は自己の造った過去のタネまきを懺悔し、順境の時は、どんな悪果を受けてもおかしくない私が恵まれるのは、仏祖のご加護と感謝して、一層努力せずにいられなくなるのです。

年毎に 咲くや吉野の 山桜
木を割りてみよ 花のありかは

春になると満開の桜をまとう吉野の山も、冬には枯れ木のような木々が突っ立っているばかり。どこに花を隠しているのかと、木を一分刻みにしても、花びら一枚見つかりません。しかし、木の中に蓄えられている、目に見えない力が、春の陽気という縁と結びついた時、満開の桜となって現れるのです。

釈 正輪