立秋の候。残暑お見舞い申し上げます。

日々の暑さからはまるで実感できませんが、暦の上ではもう秋の始まりです。立秋の末候にもなれば、夕方の涼風が心地よく感じられることでしょう。

七月の七夕に夜空を見上げても、天の川はまだ高度が低く見づらいのですが、八月の星座は天の川を眺める絶好の季節となります。それまで七夕が行われていた旧暦七月七日(八月十日頃)は上弦の月ですから、夜半には月が沈み、その後に月明かりの影響を受けない天の川が立ち現れてくるというのです。中国にはメルヘンチックな逸話があり、その夜に、かささぎが翼を並べあって、天の川にかささぎの橋をかけるというのです。夕涼みがてら、かささぎの橋を探してみてはいかがでしょうか。

合掌

流星の 使ひきれざる 空の丈

鷹羽狩行

やがてお盆が来ますが、お盆は俗名で、正しくはウラボンといいます。仏教でいうお盆とは、『仏説盂蘭盆経』から起こったものだといわれています。このお経にはこのようなことが説かれています。

お釈迦さまの十大弟子の一人に、目連という人がおりました。目連尊者は、神通力第一と称され、特に孝心の深い人でありました。その目連が、神通自在力を得て三世を観ました時に、痛ましことに亡き母が餓鬼道に堕ちて苦しんでいることが分かったのです。

彼は深く悲しんで、直ちに、鉢に飯を盛って母に捧げましたが、喜んで母がそれを食べようとすると、たちまちその飯は火炎と燃え上がり、どうしても食べることができません。鉢を投げ捨て泣き崩れる母を目連は悲しみ、「どうしたら母を救うことができましょうか」と、釈尊(お釈迦さま)にお尋ねしました。

そのとき釈尊は、「それはそなた一人の力ではどうにもならぬ。この八月十五日(新暦七月十五日)に、飯、百味、五果などの珍味を、十方の大徳、衆僧に供養しなさい。布施の功徳の功徳は大きいから、母は餓鬼道の苦難から免れるだろう」と教導されました。

目連尊者が、釈尊の仰せに従ったところ、母はたちどころに、餓鬼道から天上界に浮かぶことができ、喜びの余りに踊ったのが、盆踊の始まりの一つだともいわれています。盂蘭盆は、この目連尊者の故事から先祖供養の日となって、今日に続いているのです。

ウラボンという梵語は、「倒縣」ということです。倒縣とは、「倒さに縣かれる者(さかさにかかれるもの)」ということですから、『盂蘭盆経』とは、「倒さに縣かれるも者を救う方法を教えた経』ということなのです。果たして餓鬼道に堕ち苦しんでいるのは、目連尊者の母だけでしょうか。

実は迷いを迷いとも知らず、真実を真実と信じられず、迷いを真実と誤解して、苦しみ悩んでいる私たちは、仏の眼(まなこ)からごらんになると、みな倒さに縣かって苦しんでいる餓鬼なのです。

なければ欲しい、あっても欲しい、欲しい欲しいと飢えつづけ、渇き続け、怨み続け、満足ということを知らず、苦しんでいる餓鬼ばかりです。物を求め、物を惜しみ、闘争擾乱の世界、この深刻な現実の自己を凝視する時、餓鬼こそ自己の実相であることに驚くのです。

お盆は亡者の供養だけでなく、今、現に飢え渇き、苦しみ続けて、未来永劫流転せんとしているわが身自身を救う、聞法精進の日であることを忘れてはならないでしょう。

釈 正輪 拜