暑中お見舞い申し上げます。

蒸し暑く強烈な日差しが照りつける毎日です。昨今は局地的に激しい豪雨が列島を襲っているかと思えば、大量の大粒の雹が降ったり、関東では渇水になったりと、やはり異常気象が原因なのでしょうか。

すこし前までは、夏の風物詩の一つに夕立がありました。雷が怖いのは、昔も今も変わりませんが、夕立が上がったあとの清涼感を醸し出してくれます。さぁ、いよいよ夏の最盛期。土用のうなぎに、風鈴、花火、浴衣姿の男女等、夏模様の目白押しの始まりです。

合掌

石麻呂に 吾物申す 夏やせに
良しといふ物ぞ 鰻(むなぎ)取り食(め)せ

大伴家持 万葉集・巻十六

私たちは頑張っても上手くいかないことが続くと「これも生まれついての運命か」と、つい投げやりな気持ちになることがあります。お釈迦さまはこのようなこのような考えを「宿作外道」と言われ、強く排斥されました。外道とは「真理に外れた教え」という意味です。

もし運命が既に決まっているとしたら、私たちが努力したり、頑張ったりすることは全て無意味になってしまい、「努力しよう」「頑張ろう」という意欲が出てくるはずがありません。だから「全ては生まれた時に決まっている」という考えは、人間を無気力にさせ、駄目にしてしまうと教えられるのです。

それに対して「私たちの運命は、自分の行いによって変えることができる」と教えられているのが仏教です。実際、「運命はどうせ決まっているよ」と嘯く人でも、試験前には勉強するでしょう。勉強するという行為が、試験の結果を変えると信じているからです。

では不幸な運命に直面した時は、どう考え行動すればよいのでしょうか。そのヒントが『アキラメル』という言葉にあります。アキラメルといえば、一般には「断念して忘れる」ことですが、実は仏教から出た言葉で、本来の意味は全く異なります。語源は、「諦観」と書いて「アキラカニミル」と読み、これが次第に変換して「アキラメル」になったといわれます。諦観の諦とは「真理」のことで、これまでお話しをしてまいりました運命の法則「因果の道理」のことです。観は「観る(見る)」ということですから、諦観とは「アキラカニ、因果の道理をミル」ということです。

つまり、まいた種は必ず生え、蒔かぬ種は絶対に生えない、ということです。自分の身に起きた結果には、必ず原因があるのだから、原因をよくよく見なさい、ということです。原因をアキラカニミテ、同じ失敗を繰り返さないように対策を立て努力すれば、幾らでも向上でします。

仏教で教える「アキラメ(諦観)」は、このように無限の努力向上を促す、前向きで積極的なものです。

因果の道理をアキラカニミテ、反省努力していけば、どんな逆境からでも、自分の明日は変えていけるのです。

釈 正輪 拜