明日は一年で最も日が長く、夜が短い『夏至』です。神社では旧暦の六月の晦日に「夏越の祓」を行ないます。私や舎門(弟子)の寺院では、夏至にあたる六月二十一日、午後六時より「初夜北斗護摩供」を、また冬至にあたる十二月二十一日、午後十二時より「日天北斗護摩供」の祈祷を厳修いたします。

夜が短い夏本番の北斗の護摩供は、「祈雨法」という雨乞いの祈祷をします。また昼が短い冬本番の北斗の護摩供は、「水止舞法」という、日照り乞いの祈祷をいたします。

実は昔から、「北斗の護摩供」を修法する寺院や僧侶は少なく、今ではその伝承が危惧されます。

さて北斗の護摩供には、外護摩(げごま)と内護摩(うちごま)の二種があり、外護摩とは、修験者(山伏)が屋外で護摩を焚く「採燈護摩」のことをいいます。内護摩は屋内で「護摩壇」を設け、修法する儀式をいいます。

私が行う内護摩は、須弥壇に『北斗七星剣「代わりに日本刀」』を献上し、七枝の燭台を左右に二つ備えます。そして導師は燭台に燈された和蝋燭を半眼に眺め、静かに禅定(瞑想)に入ります。開静後(瞑想を止める)は『北斗七星延命経』を唱えながら、壇上にある薪に灯火をいたします。その後、燃え盛る護摩火を前に『七仏八菩薩大陀羅尼神咒経』と、『不動呪経』を一心不乱に唱えていきます。

ところで本尊は、「妙見大菩薩」という北斗七星の垂迹仏ですが、本地仏は「薬師如来」ですので、密教ではお薬師さまを本尊として召喚します。北斗の護摩供とは、北斗七星を「尊星王」と神格化した「守護神祈祷」でもあることから、国土を護り災いを消し、怨敵を退け人の寿命を増すといわれる、最勝仏の星ともいわれています。

合掌

妙見大菩薩御真言
おんまか しりえい じりべい そわか
薬師如来御真言
おんころころ せんなり まとうぎ そわか

ところで伊勢や志摩の海女が、身につけているセーマンとドーマンの陰陽印は、北斗信仰にルーツがあるといわれています。北斗信仰とは、即ち北極星を祀る信仰で、北辰信仰ともよばれることもあります。北斗七星の、ひしゃくの縁になっている二つの星を結んで、そのまま五倍に伸ばせば、そこに北極星があります。

高松塚古墳や横山古墳の天井には、北斗七星の図が描かれており、明日香村のキトラ古墳の天井石にも、金箔の星座が描かれていました。北斗信仰は中国の皇帝武帝が、北極星と北斗七星の神秘的な神を祭ったことに由来しますが、日本では『日本書紀』にある香香背男命(かがせおのみこと)が、北斗星の祭神とされることから、星宮として祀られ、日本各地に神宮として鎮座されています。

古代の難波京や藤原京、更に平城京や平安京などは、道教や陰陽道の北斗崇拝によって都城されているのです。北斗(北辰)信仰は、古代バビロニアに端を発するとも云われ、天文学が早くに発展したインドや中国も、北辰信仰が重んじられ、日本では仏教の伝来とともに密教も伝播し、奈良・平安時代では『宿曜経』などの修法と怨霊思想から、星供(妙見供)の修法が盛行していきます。

私が修行した台密(天台密教)の総本山三井寺では、「尊星王法」を国家鎮護の秘法として厳修します。東密(真言密教)では、「妙見法」として除災増益の星供が盛んで、特に院政期には、七壇北斗法や大北斗法(如法北斗法)等の密教修法が発達していきます。

私が行なう北斗の護摩供は特殊な修法でして、北斗七星の他に南斗六星にも祈願をいたします。理由は、北斗七星と南斗六星とは、二星で一対をなす存在としてとらえているからです。北斗七星の「斗」というのは昔の中国語で柄杓の意味です。つまり「北にあるひしゃくの形に並んだ七つの星」という意味になります。わざわざ「北にある」と断ったのは、南の空のいて座に「南斗六星」、すなわち「南にあるひしゃくの形に並んだ六つの星」があり、この二つは南北の空で対になるものと考えられていたからです。

道教思想によると、北斗七星は死をつかさどる神で、南斗六星は生をつかさどる神の象徴とされているので、陰陽の思想をもって祈願しています。更に北斗の柄の端から2番目の星ミザール(武)には、伴星アルコル(曲)が存在します。この二重星も二星一対とみなし祈願するのです。

芥川賞作家藤沢周氏の小説「武曲」は、生活や環境も異なる二人の青年を一対とみなし、一人を陰(武)もう一人を陽(曲)として相反するも、互いに剣を競いながらも通じ合い、成長していく物語です。

釈 正輪 拜