腐草為蛍(くされたるくさほたるとなる)。

初夏の夜に舞う螢火はなんとも幻想的です。蛍は昼間は深い草陰でじっとしており、夜になると光を発してふわりふわりと飛び回ります。毎年このころになると、我が住居には必ず蛍が舞い込んできます。昨年のこの時期から一年、多くの近縁者を見送ってきました。今年は蛍となって帰って来てくれるのでしょうか。

合掌

声はせで 身をのみこがす 蛍こそ
言ふよりまさる 思ひなるらめ

『源氏物語「蛍」巻』

先日、書店に立ち寄ると、ふと『しゃばけ』という本が眼に留まりました。数年前から人気の小説で、タイトルを漢字で書くと、「娑婆気(しゃばけ)」です。辞書を引くと、〈世俗的な名誉や利益を求める心〉とあり、「娑婆気を起こす」などと使われます。

「娑婆」といえば、刑務所の中の人が「あぁ、娑婆に出たい」などと呟く、映画の場面が思い浮かびます。束縛された世界の外にある「自由気ままな世界」が、娑婆と呼ばれているようです。

でも娑婆は、仏教から出た言葉なのです。仏教では、私たちが住むこの世界のことを娑婆世界といいます。娑婆という文字は「忍耐」を表すサンスクリット語の音に、漢字を当てはめて作られました。忍耐の世界ですから、娑婆のことを「堪忍土(かんにんど)ともいわれます。何事も堪忍、耐え忍ばなければ生きていけない、苦悩に満ちたところ、と教えられているのです。「ならぬ堪忍、するが堪忍」。親子、夫婦、兄弟姉妹、会社の上司と部下、関係は様々でも思いどおりにならぬことを、みな堪忍しながら生きています。昨今では、堪忍袋の緒が切れる事件がとても多く、悲劇を生んでいます。

そこでこのように思ってはどうでしょうか。私が耐えているどころか、逆にこの「私こそ堪忍してもらっているのだ」と。怒りもいつか感謝に変わるかもしれません。

かんしゃくの くの字を捨てて ただ感謝

釈 正輪 拜