紫陽花(あじさい)が色づきはじめました。花の多くは太陽の光がその美しさを際立たせますが、紫陽花は例外です。しっとりと雨に濡れた紫陽花は、より鮮やかさを醸し出してくれて、まもなく梅雨に入りますが、色とりどり紫陽花の花は、梅雨時の滅入りがちな気分を明るくしてくれます。

一般的に花といわれる部分は装飾花で、萼が大きく発達したものです。赤紫から青紫の花が寄り集まって咲き、花の色が変わっていくので、「七変化」ともいわれます。全国には紫陽花寺と呼ばれる寺院がたくさんありますよ。

合掌

あぢさゐの 青の深きに 梅雨注ぎ
昨夜より寒き 昼間と思ふ

宮 柊二

前回は、お釈迦さまの時代のインドで、祇園精舎という寺院建立に尽力した給孤独(ぎっこどく)長者のお話を紹介しましたが、いずれも、仏教で進められる「六度万行(幸せになれる六つの種まき)」の最初の「布施」の精神を伝えるものです。お金や物、思いやりの心や、優しい言葉などを施すことなのです。

情けは人のためならず。親切をすれば、善い結果が必ず自分に現れ、幸せになれると教えられています。その布施の心掛けを、お釈迦さまは、「長者の万灯より貧者の一灯」と説かれています。財に恵まれた長者が、数多くの灯火を布施するのは大変尊いことです。如何に経済的に豊かでも、仏法への布施は、深い仏縁がなければできないことだからです。

しかし、さらにお釈迦さまは「貧者の一灯」が尊いと言われます。これはどういうことなのか。以前もご紹介致しましたが、再度お話いたしましょう。

お釈迦さまの時代に、ナンダという女乞食がいました。ある日、ふとしたことで釈迦の法話を聞きに出掛けたナンダは、多くの参詣者がお釈迦さまに灯火を施しているのを見て、自分も布施をしたいと思ったのでした。そこで次の日一日中足を棒にして乞食し、親切な人からわずかなお金を恵まれて油屋へ赴いたのでした。

「このお金で一灯分の油を」それを見た店主は顔を曇らせ、「それだけでは譲ることはできない」。それでもナンダはなおも懇願します。しかし油屋も承諾はしません。その時ナンダはふと、以前髪の毛が美しいと褒められたことを思い出し、その場で黒髪をバッサリと切り落としました。

「この髪を差し上げます。どうか油を譲ってもらえませんか」「髪は女の命というか、何故そこまでして…」と不審に思った油屋の主人が尋ねると、「どうしてもお釈迦さまにお布施をしたいのです」とナンダは打ち明けました。感激した店主はとうとう一灯分の油を譲ってくれたのでした。

その夜、お釈迦さまの説法会場に灯された万灯の中に、ナンダの一灯が明々と輝いていました。翌朝、当番の仏弟子目連が順番に火を消していくと、どうしても消せない一灯があり、驚いた目連がお釈迦さまに告げると、お釈迦さまは「そうであろう。それはナンダという女性が布施した灯火なのだ。とてもそなたの力で消すことはできない。いや、たとえ大海の水を注いでも、その灯は燃え続けるであろう。なぜなら、一切の人々の心の闇を照らそうとする、海よりも広く尊い心から布施された灯火だからである」と答えられたといわれます。

「長者の万灯より貧者の一灯」とは、布施はその心掛けが最も大切であることを教えられたお言葉なのです。

釈 正輪 拜