余寒お見舞い申し上げます。如何お過ごしでいらっしゃいますか。恙無くお過ごしのことと存じます。

先週末から中国地方など、一部の地域では豪雪となり、昨日辺りから寒さもゆるんできています。季の言葉に「春浅し」という言葉がありますが、「秋深し」というのに対して、春にはまだ浅いという意味で、これは二月も半ばの、冬から春にへ移り変わろうとする、なんとも微妙な季節感を表している言葉だそうです。

夏や冬にはこのような言い方はありませんが、「春浅し」には春を待ちわび、早春の足音に耳を傾ける様子が伺え、「秋深し」には、晩秋の艶やかな紅葉のなかにも、どこかもの哀しい雰囲気がよく表現されています。日本人ならではの美意識や感性ということができそうです。

合掌

みづうみの 氷は解けて なほ寒し
三日月の 影波にうつろふ

島木赤彦

今から凡そ2670年前、北インド(現在ネパール国)のシャーキ国のカピラ城で、一人の男児が産まれました。父親は浄飯王(じょうぼんおう)、母親はマーヤ姫。彼の名前は「シッタルタ太子」と呼ばれていました。生まれながら、社会的には最高の地位、名誉、財産を持ち、そのうえ親の愛情を一身に受け、思うままの生活が約束されていました。19歳で国内一の麗人といわれたヤショダラ姫と結婚し、一人息子羅?羅(らーごら)をもうけています。更に五百人の美人を侍らせ戯れる生活。私たちがその中の一つでも手に入ればと、日々求めるているもの全てを持っておられたのでした。

そのシッタルタ太子が、あらゆるものに恵まれながら、なお満たされね魂の叫びから、29歳2月8日、それら一切の名誉、地位、財産、妻子を捨てて城を出て、入山学道の人となられました。

何とか太子を連れ戻そうと、カピラ城から王様の命令を受けた家来五人が後を追ってきて必死に訴えます。「世に出家の動機に四つありと聞いております。長く病を患って思うように人生を楽しむことができないから。老人になって体の自由が利かず、将来の希望を失ってしまったから。金や財を失い生活に困窮しているから。家族と死別して世を儚むから。しかし太子の場合、四つとも当てはまりません。太子様のお考えがどうしても分からないのです。」そのとき太子は厳然と言われました。

「おまえたちには分からないのか。あの激しい無常の嵐が、まだわからないのか。
この世の一切のものは常住しないのだ。何れの日にか滅ぶのだ。歓楽尽きて哀情多しといわれるではないか。快楽の陰にも、無常の響きが込もっている。美人の奏する絃歌は、欲を持って人を惑わすのみだ。人生は苦悩に満ちている。猛き火のごとく、浮かべる雲のごとく、幻や水泡のごときものではないか。若きを愛すれど、やがて老いと病と死のために壊れ去るのだ。また愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦など、心の苦しみも絶えず襲ってくるのだ」

シッタルタ太子の「生老人病死」の苦悩は、そのまま私たちが直面する悩みではないでしょうか。勤苦6年、厳しい修行の末に、35歳の12月8日未明、ついに仏覚を成就され『仏陀』となられた。かくて80歳2月15日に御入寂なされるまで、布教伝道なされたのです。

四十五年間のお釈迦さまの説法の記録がお経です。七千余巻という膨大な数に上り、総称したのが『一切経』といわれます。このお経を読むことで、私たちも仏の教えに触れることができるのです。

釈 正輪 九拝