大暑の候。梅雨がやっと明け、蒸し暑く強烈な日差しが照りつける頃となりましたが、皆さんお元気ですか。暑い夏を乗り切るためには、やはりビタミンAが豊富な鰻は欠かすことの出来ない一品です。

 江戸時代に広められた、土用の丑の風習だけでなく、「万葉集」にもなったやせに効くと鰻が登場するように、古くから夏バテ解消の特効薬として知られています。

 ふっくらと蒸し焼きにする関東風の食べ方より、少し焦げ目があり、パリッと香ばしい蒲焼きが私は好きです。(合掌)

 石麻呂に 吾物申す 夏やせに
 良しという 物ぞ 鰻(むなき)取り食(め)せ

大伴家持 万葉集・巻十六

 ところで皆さんは、善いことをしたのに腹が立った経験はないでしょうか。

 例えばよくある話ですが、連休中に、旅先で買ってきたお土産のお菓子を、会社の同僚数名に配る。「わぁ、ありがとう。美味しいね」と言われれば、買ってきた甲斐があったと喜べますが、中には一言の礼もなく食べる同僚には、面白くない心が吹き上がります。

「人気のお菓子で、けっこう並んで買ったんだ」と苦労話もしてみせますが、それでも何もないと、「二度と買ってきてやるか!」と憤慨するのが人の常です。残念な話ですが、私の弟子の一人にもそのような者がおります。

 檀信徒さま宅でご馳走になるのですが、美味しいとも感謝の言葉も一言もないままおかわりだけは要求する。その者には知的障害がありますが、やはり感謝の気持ちがないのでしょう。何度叱っても治ることはないのですが、私の檀信徒さまは皆さんご立派な方々で、そのような弟子にも暖かく接してくださいます。

 さて話は戻りますが、私たち人間は、親切にしたのに御礼や感謝の言葉がないと途端に腹が立ち、善に努めながらも「私はこれだけやっている」と自負し、評価や見返りを期待します。しかし仏教では、その心こそが毒だと説きます。

 大善ほど猛毒を含む人間の善の実態を、龍樹菩薩(約1900年前のインドの人で、小釈迦とも云われている)はこのように喝破されています。

『四十里四方の池に張り詰めた氷の上に、二升や三升の熱湯をかけても、翌日そこは膨れ上がっている。(大智度論)』

 また親鸞はいいます。「いつも己の損得ばかりを考えて、欲や怒り憎しみに果てしがない。こんな欲や怒り妬みそねみに染まり切っている心で、頭の火をもみ消すように善に励んでも、皆、偽善であり、うそっぱちであるから、「雑毒・雑修の善」「虚仮・てん偽の行」といわれ、「真実の善」とはいわれない」(親鸞聖人 教行信証)

 仏教では「三輪空」がなければ本当の親切とはいえないと説きます。三輪空とは、「私が(施者)、誰々に(受者)、何々を(施物)」の三つを忘れるということです。「私が与えてやった」「あの人にしてやった」「だから、きっとあの人から、私にこれくらいのものが返ってくるだろう」と見返りを期待する心となって表れてきます。

 僧侶である私も以前はそのような邪心がありました。

合掌

釈 正輪 拜