蓮始開(はすはじめてひらく)

夏の早朝水辺、蓮の花はポンと音をたて、ゆっくり白や淡紅色の花を咲かせます。「蓮は泥より出でて泥に染まらず」という言葉の通り、泥水のなかから生じ、真っ直ぐに凛とした美花を咲かせる姿が、清らかさや聖性の象徴とされてきました。仏教では、菩薩さまが蓮華の台座に座している御姿を、仏画や仏像で現します。また死後、愛する男女などがともに往生して、同じ蓮華座の上に生まれ変わる事を「一連托生」といいます。

さて明日十三日は旧暦のお盆の入りです。迎え火(盆提灯や灯籠)焚いて、先亡者をおむかえいたします。

合掌

遠き世の 如く遠くに 蓮の華

山口誓子

 

北野武さんの『新しい道徳「いいことをすると気持ちがいい」のはなぜか (幻冬社)』を読みました。北野さんの、あの独特の口調で書かれていますので、直ぐに読み終えてしまいました。内容は北野さんの考える「生きる術」を綴っているのですが、しかしそれは僧侶の私が話すような内容でして、正に現代版北野武流の説法でした。

彼は特に仏教を深く學んだわけではないと思いますが、北野さんの人生路程の中で経験した様々な喜怒哀楽が、必然的に仏教徒のような考えに達したのだと思われます。

文中での言葉「〜物事にはなんでも表と裏がある。利他の反対語は利己で、人間はもちろん利他心だけでなく、利己心も持っている。割合でいうなら、利他心よりも利己心の割合の方が大きいのが普通の人間だろう。みんなのためにといいながら、実際には利己心だけで行動している人もいるはずだ。それに、いいことをしていれば、必ずしも世の中が良くなるというわけでもない。誰かにとってのいいことが、他の誰かには悪いことだったりすることもある〜」

北野さんの言葉は仏教の真髄とも云うべき言葉なのです。仏教は『自利利他』を説きます。自分のためにだけ生きる利己主義でもなく、自分のことより他人の利益を優先するという、利他主義でもありません。自利利他とは、自分を生かし、他人も生かすことなのです。どちらかが犠牲になるのではなく、自分のために生きることが、自然と他人のためにもなっているという生き方です。それはまた利他自利でも同じことで、他人を思う心と行動は、必ず自分にも善縁となって返ってくるのです。

参議院議員選挙が終わり、政治家たちは、慌ただしく国政体制作りに奔走するのでしょうが、本当に利他主義の精神で政事(まつりこと)を司る政治家は、いったい何人みえるのでしょうか。

釈 正輪 拜