cs201405_DSC_0019今月は、昨年の参議院選挙に減税日本から出馬、惜しくも落選したが、選挙運動の新たな可能性を示して善戦した弁護士、宇田幸生氏のケースだ。
第2回は、河村たかし政治塾での活動に積極的に関与するうちに、いつしか国政への出馬というベクトルが定まっていった様子を紹介しよう。

首長の権限は絶大だ。外野から騒いでも、条例1つ作れない

 3.11以前にも、宇田氏は河村たかし市長のような、首長の権限に強い関心を抱いた時期があったという。

 なぜならば、犯罪被害者支援の活動を長年行っていても、実際にはたった1つの条例を作ることも、なかなか難しいものだからだ。

「弁護士会で、全国の自治体でのさまざまな取り組みについて勉強しました。視察も行いました。そうした中で、当時、神奈川県の取り組みが非常に先進的であることを知り、なぜそうできているかを調べてみると、ほとんど、松沢成文知事(当時)のトップダウンだったのです」

「それに比べて、弁護士会もそうですが、外野からいろいろと意見を述べるだけでは、行政はなかなか動けない。首長の権限というのは絶大なのだということを感じました」

 法律に関してはどうだろうか。県レベルで制定できる法律は条例だが、条例にはさまざまな制約がある。しかし、宣言的な条例であれば、法律上の縛りが比較的少ない。

「それでは意味がないと考える人もいますが、そうであっても、地方行政が一気に変わることもあるのです。
 愛知県の経営者の勉強会にもいくつか参加していますが、たとえば2012年10月に、中小企業振興基本条例という県条例ができました。これも宣言的な条例でしたが、法的な裏付けを前提とする中小企業支援のための恒常的な取り組みがより進むようになったのです。中小企業の経営環境に非常にいい影響を与えていると思っています」

 それだけではない。たとえば、河村市長は名古屋市全体で約226億円の市民税を減税した。ちょうど、名古屋市民の数が226万人であるから、これは一人当たり約1万円の減税をしたことになる。
 議会との協力関係、あるいは議会を制することが必要だが、市長にも、こうした思い切った政策を実現する力がある。

 ところで、河村市長はなぜ減税をしたのか。これは、減税をした分を、第二の税金として、自由意思によって非営利セクターに寄付してもらう。国家公益独占を覆し、住民が自由意思で公益を考える社会を実現したいという想いからだ。その新たな原資を基に、地域委員会というものをハブとして社会が必要とする活動を推進していくという仕組みづくりも考えた。もっとも、この仕組みはまだうまく回り始めたとは言えないが、それはまた別の話だ。

「この減税も、消費税増税によって効果は全く消えてしまいます。こんなに切ない話はない。だからこそ、国の仕組みから変えていかないといけないと河村市長は考え、国政と地域政党や首長がうまくコラボレートするために、国政選挙に打って出たのだろうと考えています。」

義務感から積極的な喜びへ、社会貢献に対するスタンスが変化

 宇田氏は迷っていた。国政選挙は頭になかったが、2015年の地方選に出馬するという道もある。あるいはNPO法人の立ち上げも魅力的だ。

「公共セクターなどよりもむしろ、NPOやNGOのほうが、はるかに社会に有益な活動をしているという例を、たくさん見てきました。弁護士会としても、そうした組織との関わりは少なくありません。消費者、子ども、お年寄りなど、社会的弱者のために活動する団体に、寄付金を有効に回していくことができれば、公共セクターに公益を独占させるよりも、はるかに効率的、かつ効果的な活動ができるはずです。スピーディにも動けるでしょう」

「弁護士会にしても、いろいろと規則がありますし、平等の精神から逸脱できないという限界もあって、できないことも多いのです。だとすれば、自分たちでNPO法人や財団を立ち上げたほうが早いのかもしれないとも思えました」

 彼が一番変わったのは、こうしたことを考え、行動することが楽しくなったことだと言う。弁護士会の活動にしても、それまではどこか「弁護士だから、社会正義の実現のために活動すべきだ」と肩に力が入っていた。義務感がエネルギーの源泉であったのだ。

 しかし、社会をよくする素晴らしい試み、活動の一翼を担えているという喜びに、気がついたら、いつしか心持が変わっていた。

 では、国政という考えのなかった宇田氏が、なぜ参議院選に出馬することとなったのであろうか。

 13年4月に、名古屋市長選があった。その際に、宇田氏は河村たかし氏の選挙活動を手伝った。河村氏の政策に共感していたのだから、それは当然だが、選挙とはいかなるものかを観るという思いもあったという。

「選挙活動自体は、衆議院選挙の際にも体験したのですが、河村市長自らがどのような選挙を行うのかということにも興味がありました」

 結果、河村たかし氏は名古屋市長として圧倒的強さで再選される。宇田氏の日常が戻ったのは束の間だった。

突然の電話。断るほどの胆力がなかった出馬依頼

 5月になると、7月の参議院選で減税日本からも候補を出すらしいという噂を耳にするようになった。河村市長としては、市長選で圧勝した勢いのある今、国政にもパイプを作りたいと思うのは必然だった。中央からのバックアップを得て、地方自治の自立を図るという作戦だ。

 一人の参議院議員が生まれたとしても、それで何ができるかという意見もあろう。減税日本は地域政党であるから、国政では無所属になる。無所属議員は政党のバックアップがないという不利な面がある反面、無手勝流で活動できるというメリットもある。同じ無所属の中から仲間を募ることもできよう。会派も作ることだって可能かもしれない。維新の会のような動きもあり得るわけだ。

 当時は地方分権の論議が華やかな時だったから、さまざまな可能性がある。そこにアンテナを張るだけでも、地域政党にとっては大きな一歩だ。

 宇田氏としても、そのような考え方に賛成だった。だから、参議院選に誰かが出るのであれば、また裏方としてお手伝いしようという腹積もりを持った。

 その時、彼は知らなかった。すでに彼自身がその候補であったことを。後にマスコミからも言われたそうだ。「実は初めから目をつけていた」と。

「自分では意識していませんでした。でも、塾生の中でも、自分で積極的に勉強会を開いたり、選挙は必ず手伝いに行くなど、傍からみれば、非常に熱心な人と見えていたわけなのですね」

 5月の連休が明けてしばらくして、突然、党の関係者から連絡があった。

「聞いているかもしれないが、近々参議院選がある。よかったら、一度考えてみてもらえないだろうか?」という話だった。

 宇田氏にとっては、降ってわいたような話だ。弁護士の仕事もある。裁判もある。出馬という前提は自分の頭の中にはなかった。

「だから、お断りしました。それで電話を切ったのですが、『待てよ』と思ったのです。考えを変えたわけではありません。これは簡単な話ではないから、電話で断るようなことではないなと思ったわけです。それでは党にも、河村市長にも失礼だろうと。断るにしても、ちゃんとお会いして、断わらないといけないと思い直し、電話をして、『改めてお話を伺います』とアポイントを取りました」

 それで約束の日に出掛けていったわけだが、その席には党の責任者と河村市長が同席、そこでようやく宇田氏は、「これは思いのほか深刻な事態だ」と気がついたそうだ。

「断るにも胆力がいる。そこまでの覚悟があって今日、来たわけではない」

 目の前に河村市長がいて、「政治塾にも熱心に参加してくれているし、ぜひともこの話を受けてほしい。ここで手伝ってもらえるならば、本当にありがたい」という話を受ける。

 さすがに思い直さなければいけない状況だ。

(文:赤城 稔)

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