cs201405_DSC_0003今月は、昨年の参議院選挙に減税日本から出馬、惜しくも落選したが、選挙運動の新たな可能性を示して善戦した弁護士、宇田幸生氏のケースだ。
第1回のテーマは、彼はなぜ、政治というものに関心を持つようになったのか。

3.11が自分の人生を見つめ直すきっかけとなった

 宇田氏には、選挙、ましてや国政選挙に出る意志はまだなかった。しかし、彼は地域政党である減税日本を率いる河村たかし名古屋市長の主張する政策に共感し、勉強会などに通っていた。そんな彼に減税日本が白羽の矢をたてた。そして河村市長と二人三脚で短い選挙戦を戦った。

 彼は大きなうねりに勝つことまではできなかった。それでも三バンのない彼は、15万票余りを獲得した。家入一真氏の東京都知事選が注目を浴びたが、ネット選挙という意味においては、宇田氏の選挙戦も注目に値する。

 そんな彼の選挙を振り返りたいが、このストーリーにももちろん背景がある。だから、まずは少し、時を遡ってみよう。

 3.11、あの悲劇的な東日本大震災によって、モノの見方、考え方が変わった人は多い。たくさんの若者が、生き方を変え、また何かをしなければいけないというエネルギーをその身に抱えた。

 宇田幸生氏もその一人だ。彼は、名古屋で、多忙を極める弁護士だった。

「日々業務に追われ、余裕のない生活をしていました。弁護士ですから口幅ったいようですが、人権擁護活動にも取り組んできました。それなりに充実した毎日であることに、何の迷いもなかったのですが、あの日を境に、自分の時間とお金を投じて、善意の活動に身を捧げている人たちの話を耳や目にするうちに、日々の繰り返しだけに満足をしていて良いのだろうかという疑問を持つようになったのです」

 当時、宇田氏は30代の終わりに差し掛かっていた。大学を出て、翌年の司法試験に合格し、2年間の司法修習を経て、1999年、順調に弁護士登録を果たした。すぐに彼はイソ弁となった。独立をしていない、他の弁護士の事務所に勤める弁護士をそう呼ぶ。

 8年後の2007年、彼は所属事務所のパートナーとなり、連名の事務所を立ち上げている。髙柳・宇田法律事務所だ。極めて順調な弁護士人生と言えよう。

「いわゆる街の弁護士」だと自分を称する。民事一般、刑事事件、家事事件を扱う。多い事案は交通事故対応、離婚、不動産トラブル、そして相続だ。

 実家は不動産業を営んでいた。不動産業はどうしても法的なトラブルに巻き込まれることがある。それが彼の負の原体験だったという。そこから宇田少年は胆に銘じた。

「法律だけはしっかり学んでおかないと、身を守れない」と。

 だから法律を勉強した。一所懸命に勉強するのであれば、そのまま専門家になるのが近道だ。だから弁護士になった。

 街の弁護士を続ける傍らで、彼が関心を寄せ続けているのが「犯罪被害者の支援活動」だ。ちなみに現在、彼は愛知県弁護士会の中にある犯罪被害者支援部門の責任者の地位にある。

 そんな彼が、3.11を受け、人生のはかなさを知った。

「法律家としての自分らしさを最大限に発揮する生き方はどのようなものか、と考えるようになったのです」

 もちろん、法律家であるから、弁護士活動を通じて社会をよくするための判例を積み上げていくという方法もある。しかしそれは、あまりに時間が掛かりすぎる。

「判例は主に個別具体的な事件の解決を通じて、偶然に生まれるものだと思っています。もちろん犯罪被害者支援活動を通じて、関連する法案づくりを外部から働き掛けることもできます。しかし、国会議員として法案の立案に直接かかわる方法もあると考えるようになったのです」

半年間、東京に通い、学んだ。そして名古屋市長と出会った

 そう思い立った宇田氏がまず選んだのが、東京にある、政策を学ぶことのできる学校、日本政策学校(http://j-policy.org/)に通うことだった。

 ただ、名古屋在住の人間にとって、東京の学校に通うことは簡単ではない。週2回、出張ではなく、新幹線で往復しなければいけなくなる。しかも、週1日は夜の講義であるから、終わると帰れなくなる。一泊しなければいけない。お金も掛かるが、時間のやり繰りが大変なことは言うまでもない。

「オンライン受講もありましたが、実際に生で講義を聴いて、同じ思いを持つ人たちと語り合うことに意味があると思いました」

「授業は火曜日の夜と土曜日の昼間でした。ですから、火曜日は毎週、16時の新幹線に乗れるように仕事を調整し、土曜日は仕事を入れないようにしました。そうした苦労をしても、代えられない価値があると思ったのです」

 宇田氏は、火曜日は東京に出掛け1泊。土曜日は1日東京という生活を半年間続けた。授業内容は満足できるものだった。ただ、当然ながら、それですぐに自分の進むべき道が見えるわけではない。自分の政治信条が出来上がるわけでもない。

「それでも、大きな政府vs.小さな政府という20世紀型の二元論モデルを克服するための概念と言える資本主義3.0を知り、また国家に代わる地域主権のあり方についても学ぶことができました。それを自分なりに整理して昇華して、では自分は何をすべきかを考えようと思ったのです」

 資本主義3.0とは、ポスト資本主義の考え方の1つ。価値判断の基準としてソーシャルキャピタルを重視し、共創と持続性、情報共有、地域主権を旨とする。そんな考えを指す。

 そして、運命的な出会いをする。日本政策学校に、河村たかし名古屋市長が講師として訪れたのだ。

「自分の住んでいる名古屋市の市長ですが、それまで正直、河村市長のスタンスや考え方などにふれる機会はありませんでした。震災以前は、市政にそれ程関心もありませんでしたから。しかし、講義という形で学ぶ気でじっくり聴くと、それまでにやっとおぼろげにつかみ始めていた資本主義3.0や地域主権というものの姿、その実践的モデルが見えてきて、しかもそれが、自分の住む街で試されていたことがわかったのです」

 熱冷めやらぬ宇田氏は、名古屋に帰るとすぐに河村市長に連絡を取り、もっと話を聞かせてほしい、減税政策や地域委員会など河村市長の考えるビジョンや手法を学びたいと訴えた。

「灯台下暗しでした。これを学び、自分の中で体系化して、出来ている部分と出来ていない部分を明確にして、どうすればよりうまく行くのか、難しいポイントはどこなのかを考えたいと思いました。その上で、この政策をもっと広めていきたいと感じたのです」

河村市長の政策に共感し、政治活動を行い始める

 宇田氏が河村市長に連絡を取った後、ほどなくして、橋本徹氏が維新政治塾を立ち上げた。さらにほどなくして、今度は河村市長が政治塾を立ち上げた。宇田氏は、その政治塾に参加した。

「改革には揺り戻しがあります。その揺り戻しを何とか押し留めたい。そのビジョンを定着させていきたい。その手伝いがしたいと思いました。河村市長という存在がなくては霧散してしまうコンセプトではなく、誰が首長になっても同じベクトルで進んでいける、そうした仕組みを構築したいと思ったのです」

 この時点で、宇田氏の気持ちは国政から地方行政へと揺れていた。

「地方自治体の権限を強化して、税源を地方に委譲する。そのためには国政に行って、それを後押しすることも重要です。しかし、その前に、地域で地道に勉強をして、地域のことをもっと知らなければいけないとも思いました」

 弁護士であり、一市民であるというフリーハンドな立場も、政治活動を行う上では実は悪くない立場だ。

 無手勝流で自主的な勉強会を催すなど、草の根のネットワークづくりに励むこともできる。

 力を入れている犯罪被害者支援の立場で、シンポジウムに関わり、市の職員や民間団体のスタッフに制度について説明するなど、研修会の講師も請け負った。

 2013年初頭の状況で言えば、河村たかし政治塾は、名古屋のほか、東京、東北の3カ所で開催されていた。トータルで塾生の数は800人ほどを数えた。この間、自民党が大勝した衆議院選挙で敗北を期した。それでも地域政党としては、その活動は尻すぼみになることもなく、活発だった。

 その時期、宇田氏は東京と名古屋の政治塾に所属していた。さらに、塾生が開催する自主的な勉強会にも進んで参加していた。そして自分自身が思っていた以上に政策への興味が深まっていたのであった。

(文:赤城 稔)

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