DSC_0059_m今回は、ビジネスの世界から政治・行政改革を目指す立場に転身を図る、オープンGイニシアティブ代表、渡邊健氏のケースをお届けしています。

立ちはだかる文化の壁は社会主義国とも同等?
 渡邊氏が今、突き当たっている壁がある。それは、日本の文化が公文書管理を果たして望んでいるのか、情報公開を好ましいと本当に考えているのかという壁、つまりは政治論や技術論、ビジネス論以前に存在する文化という壁だ。

「大学院の研修旅行で最近、ベトナムに行きました。向こうで、ベトナム大学ハノイ校、日本で言えば東大のような存在ですが、そこでアーカイブズを研究している人たちとの交流会があったのです。そこで一人の女性と出会ったのですが、彼女はドクターコースを修了して、今は大学の先生の卵で、私と同じように、ベトナムのローカルガバメントの公文書管理を研究テーマにしていました」

 ベトナムは、経済発展にも勢いがある国だが、やはり社会主義国であり、公文書管理や情報公開という面では相当程度コントロールされている。そのため、研究者たちはかなりのストレスを感じている。公文書は本来国民の資産であるというスタンスがグローバルスタンダードになりつつある中で、取り残されている感があるからだ。

「だから、無理もないのですが、草の根レベル、地域レベルでもアーカイブズという概念が根付いていかないと彼女は嘆いていました。何となれば、民間の古文書ですらちゃんと保存されずに散逸してしまっているのです。それはなぜなのかという疑問を彼女は持っていて、何とかその部分を啓発していきたいと考えていました。

 実は、日本もその点はあまり変わらないのです。彼女はそれが文化の問題かという問いを発していましたが、私はそう思っています。しかも、むしろ、ベトナム人よりも日本人のほうが深刻かもしれないのです。日本人は恵まれてきたがゆえに、自分自身のアイデンティティを求めるという考えも決して強くないと思います」

国民主権を担保するにも、情報格差は埋めなくてはいけない
 それは文化的な側面であると同時に、多分に民主主義の問題だと渡邊氏は言う。日本は第二次世界大戦後の日米同盟という戦後レジームの下で、お上にお任せするという習性でここまで来てしまった。面倒くさいことは政治や行政に任せ、あるいはアメリカの言うことを聞き、お上からは「君たちはこんな文章を読んでもわからないでしょう。だから私たちに任せてください」といわれて納得してきた。お上は国家だけではない。裁判所、弁護士、警察、医者、教師……何事も“先生”の言うことは正しいから、任せておけばよかった。

「原発問題だって、この構図の中にあるのだと思います。福島第一原発の事故を受けて、反対運動が巻き起こりましたが、それまでは皆、暗黙であっても原発の推進に合意していたわけです。情報公開にそれほど積極的でないのも、特定秘密保護法が結局は押し切られてしまうのも、そうした国民性があってのことだと私は思っています。
 そこを変えていかないといけない。これからは、利益をシェアするのではなく、負担をシェアしていかなければいけない時代ですから、どうしたって自己責任で、自分の判断で決断し、行動していかなければ、痛みが大きくなるだけです。そのために、何が必要かと言えば、政治や行政側の人など既得権保持者たちが持っている情報と自分たちの知っている情報との間にある格差を埋めることではないでしょうか。
 そうでないと、いくら国民主権と言われて、『最後に決めるのは国民だ』といわれても、情報不足で、決められるはずもないのです」

 だから、民主主義を立て直すためには、まずは情報の非対称をなくさなければいけないと言うわけだ。

 基本的にはほとんどの情報は公開されるべきものだ。そのためには、その前提として、しっかりとしたルールに則って、情報を保存・管理しなければいけないというのが、渡邊氏の問題意識であるわけだ。

「ごめんなさい。それは捨ててしまいました。取っていません」。そういえば、今はそれで許されてしまうのである。

特定秘密保護法がダメな理由は、情報公開の原則が理解されていないから
 特定秘密保護法の制定が、国会の審議を通過してしまった。この法律の実務上の問題点は、法案が玉虫色でいかようにも解釈ができてしまうという点だ。一義的には、特定秘密を扱う行政機関の職員や一部の事業者を対象にしているものではあるが、処罰の規定も曖昧で、共謀や教唆までと範囲も広い。解釈次第で、処罰の対象が無制限に広がってしまう。

「ところが、この法律に反対をしていた人たちも、原理主義的に反対を唱える人が多く、法案の審議にならなかった面がありました。それもそのとおりだけど、論点はそこではなくて……と歯噛みすることも少なくありませんでした。
 この問題の根っこは、そもそも情報公開の前提をどう理解しているのかということなのです」

 渡邊氏は、「秘密保護法の制定自体には賛成である」と言う。安全保障上の問題で秘密にすべきことは、それは存在する。

「実際、過去においても、日本の情報管理が甘いから、日本に情報を提供できないという事態は数々ありました。もっともこれは、政治家の口が軽いからであって、縛るべき対象が違うとは思いますが、いずれにしても、国家レベルで秘密保護はある程度必要なことは確かです。
 しかし、特定秘密保護法は、あまりに行政機関の裁量が大きすぎます。特に原案には何の歯止めもないに等しい状況でした。
 しかも、あくまでも国民の知る権利を制限する法律であるわけですから、そのプロセスは必要以上に公開しないといけない。こういう考えに基づいて制限しますということ、どういう有識者が集まって、いつ検討したかは公開しないといけない。
 それなのに、あの法律の制定過程では、それもまた黒塗りになっていました」

 行政機関が作成、取得した情報は、原則公開であることが前提だ。なぜならば、それらは組織内部のものではなく、国民共有の知的資源であるからだ。ただし、ある事項については、たとえば国家の安全を担保するために公開を制限せざるを得ないというスタンスになる。そうであれば、たとえば30年経ったら公開すると決めるのが筋であって、実質的に30年経ったら、そこで妥当性を検証するというのはおかしい。例外規定は必要であっても、それはあくまでも限定列挙された例外でなければいけない。そして、それはあくまでアクセス制限の問題であって、情報そのものの保存管理は適正になされなければならない。知らない間に廃棄されていました、では済まされない。

「あるいは、行政機関の長が実質的に全部決められるということで本当にいいのですか? 裁判所がその妥当性を判断するときに、現物を見られないのです。それで本当にいいのでしょうか。国会も、ほとんど実効力のあるチェックに関与できない。それでいいのですか? 三権分立がこの法律では完全に骨抜きにされているわけです。だからと言って、それに代わるような工夫がなされているとは、今のところ全く思えません」

自分自身のアイデンティティを持ち、行動すべきときだと思う
 アメリカが、日本にこの法律の制定を求めたという裏事情が指摘される。

「しかし、そのアメリカにはしっかりとした歯止めがあるのです。たとえば秘密に指定された情報にアクセスできる人というのは限られていますが、その人たちの中から異議申し立てができるルールになっています。日本の法律ではそうなっていない。誰も異議申し立てをできないのです。いったん秘密だと指定されたら、皆、口をつぐんでいないといけないのです。

 いくら安倍首相が『私を信用してください。そんなことをするわけがないでしょう』と言っても、詮無いことです。たとえ安倍首相のことは信用したとしても、法律は首相の任期よりはるかに長く存続するわけですから、政権が変わった将来、どのように悪用されるかわからない。だから当然、悪用ができるような法律を作ってはいけないのです」

 法律は将来に対して効力を持つものだから、制度としてきちんとセーフティロックをかけておかなければいけないのは当然だ。「ちゃんと運用すれば問題ない」などという甘言に、何の意味もない。

「自民党もわかっているのだと思います。パブリックコメントが9万件も来ていたのですから、わからないはずがない。言ってみれば最初にぐずぐずの法案を出してきて、あわよくば少しでも秘密の範囲を広げたいと思っていたのが見え見えです。それをある程度の修正協議には乗ったうえで、それでもあくまで拙速に押し通してしまった。こんな重要な法案を1カ月程度で押し通してしまったわけです。なぜか。継続審議にしたら、もう通らない。そうした声が自民党の中からも聞こえてきました。その程度の法案であるわけですから、本来であれば、決して通してはいけない法案であったわけです」

 自民党はもちろん、民主党の中にも、アメリカの顔色をうかがっている議員はたくさんいる。

「日本の政治の本流筋には、アメリカに言われたことを四の五の言わずにやらなければいけないと思っている議員が、今でもかなりいると思います。
 だけど、今回の法律に関しては、ニューヨークタイムズでさえ、『下品な法律だ』という論評でした。アメリカにも、秘密保護法を作って罰則を強化しろとは言ったけど、これはないんじゃないの? と思っている人は多いと私は思いますね」

 これも、あえて言えば民度の低さなのか。少なくとも、民主主義と言うものに対する意識の低さの表れとは言えそうだ。秘密保護法に反対と言っても、多くの人は、それほどけしからん話だとは思っていない。そんなことよりも、バラエティ番組に興じることを選ぶ。幸せと言えば幸せだが、もうそれでは通らないと思えてならない。

「もちろん、自分に何ができるわけではないですけど、たとえば、購読している新聞が違えば、論評が違うので、各々の理解も違ってしまう。端的に言えば、この問題にしても、朝日新聞を読んでいるか、日経新聞を読んでいるかで、入ってくる情報、トーンが全く違うわけです。
 偉そうなことは言えないですが、たとえば日経新聞だけを読んでいるビジネスフィールドの人たちの多くは、政治に関しては素人です。そういう人たちに、自分が多少なりとも持っている専門分野の知識や情報を題材にして、話題を喚起する勉強会には意味があるのではないかなと思っているわけです」

 主義主張はさまざまだろう。特定秘密保護法や原発問題にしても、意見はさまざまにある。どれが正解と簡単に言えることではない。問題は、自分自身のアイデンティティを軸に、自らがしっかりと判断をして、意見を言う。投票などの行動を行う。皆と議論をするという姿勢だと思う。

「面倒くさいからお上に任せよう」。それで済ませられる時代はもう終わった。自分がいかなる義憤を持ち、その気持ちに正直に主張するか、生きるか。これは政治的な話だけではない。

(文:赤城 稔)

オープンGイニシアティブ
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