DSC_0024_m今回は、ビジネスの世界から政治・行政改革を目指す立場に転身を図る、オープンGイニシアティブ代表、渡邊健氏のケースをお届けしています。

銀行と福祉の世界が相容れないことを、就職時点で初めて知った
 渡邊氏は、銀行員家庭の長男として生まれた。自ずと資本主義が当たり前という家庭環境で育った。ただその一方で、4つ年下の弟が重度障害者として生まれたため、福祉関係者との付き合いも必然的に多かった。

 障害を持つ弟には落ち着いた環境が必要だと判断した父親は、ある決心をする。銀行マンは通常、全国の支店に転勤を繰り返すものだが、父親は一度だけ、東京に2年間、単身赴任をした以外は、地元である名古屋にある二つの店舗を行ったり来たりしていた。

「多分、父親は、ビジネスマンとしてのキャリアを追求する道を諦めたのだと思います」

 渡邊氏はよく、弟の通う、当時の養護学校のバザーに参加したり、その学校に通う子どもたちと一緒に食事をしたりしていた。福祉の現場には民生委員など、共産党の党員がたくさんいる。資本主義を標榜する家庭と、そうした現場を、子どもはもちろん、何の違和感もなく両立させるものだ。

 大学生になった渡邊氏は、福祉関係のボランティアサークルを作って、さまざまなボランティア活動も行った。そして卒業すると、自分の中ではごく自然に都市銀行に就職する道を選んだ。彼の中に、やっぱり何の違和感もなかった。

 ところが、傍はそこに大きな違和感を抱いたようだ。周囲の人間の反応に、渡邊氏はただただ驚いた。

「進路の話などしたことはなかったのですが、大学時代に関わっていた社会福祉法人の人たちとか、弟の関係で知り合いになっていた施設の人たちは、私は当然、福祉関係の道に進むのだろうと思っていたようなのです」

 渡邊氏は社交的な性格で、人当りもよかった。さばけた性格で、それでいて行動力があった。そういう人材は(今でもそうだが)正直、福祉関係の世界には少ない。だから、彼のような人間が来てくれれば……と周りが勝手に期待したのだろう。

 それは後々わかったことだが、彼には最初からその考えはなかった。就職先、キャリアの出発点としては、福祉の世界に興味は湧かなかった。彼は自然の成り行きとして、親と同じ銀行という世界に飛び込んだ。

 すると、ボランティアの現場の雰囲気が変わってしまったそうだ。『銀行なんかに行くんだ』と言う、よそよそしさみたいなものを強く感じたという。

 その一方で、面接で、「銀行に入って、何がしたいですか?」と聞かれ、渡邊氏は大真面目に「福祉や環境分野の産業を育てたいです」と答えている。すると「福祉か、それは儲からないな」と言われたという。

そこで初めて、彼は、両者が全く違う世界として成立していることを肌身に感じたのだ。

33歳で迎えた転機、「ここにいてはダメだ」と転職を決意
 金融と福祉や介護は、社会をよりよくしていくためには、共に掛け替えのないものだ。しかし、今と違って当時は、福祉や介護の現場を成長産業としても見ていなかった。金融は右で、福祉や介護は左といった対立軸でしか見られない人間がまだまだ多い時代だった。嫌、それは正直、今でも本質的には変わっていない。

 それは大きなネックだ。55年体制が崩れ、そうした対立軸は鉄のカーテンと同じで一度は瓦解したはずだった。共産主義や社会主義にも、かたや資本主義にも、ともに限界があることを皆が知っている。だからポスト資本主義や資本主義3.0など次のグランドデザインが模索されている。ところが、右と左の対立は、実はまだ根深い。

 たとえば、2012年に社会現象となった毎週金曜日の夜に行われる首相官邸前での原発反対のデモには、誰が参加していたであろうか。特定秘密保護法の制定を阻止しようと集まった人々も同じだったが、呼びかけ人は、共産党系の団体や、昔からの原発反対の運動家かもしれないが、そこに参加していた多くの人たちは、右にも左にも、どちらにも偏らない“普通の人たち”であった。しかし、保守本流を自称する人たちは「あそこに集まっているのは左翼だ」と言い、忌み嫌っていた。

常識は時とともに変わるものだが、その変化に追いつけず、変化そのものを拒否する人たちもいる。

「私が大学を出たのは93年です。バブルはすでに崩壊し、一方では共産主義は資本主義に敗北したというストーリーがもてはやされていました。私の卒論はポスト資本主義でした。資本主義がベースではあるものの、市場原理主義や競争社会が中心にあるそれまでの資本主義ではなく、ソーシャル・ネットワークを基本において、福祉や環境を重視する経済体制を志向するというものです。そうした方向性が今後は求められるはずだと思っていました。だからこそ、資本主義の屋台骨である銀行で、そうした産業を育てたいと真剣に考えていたわけです」

 しかし、銀行に入ると単純に仕事が楽しかった。だから、いつしか「普通の銀行員」になってしまった。普通と言ったが、彼は頭角を表す。営業として、大口の顧客を任せられ、有望な支店、そして本店を渡り歩くことになる。彼が入った銀行は、当時総資産世界一のメガバンクだった。同行はその後、他行と合併する。

「この時に、ふと思ったのです。皆はなぜこれほど内向きの議論ばかりしているのだろうと。この業界もこの銀行も追い詰められていたのに、周りに危機感が感じられなかった。当時私は33歳で、年代的に言うと、管理職になり始める頃でしたが、この時期をここで過ごしていいのだろうかと思い、転職を決意したのです」

 そして前回紹介したように、彼は再生案件に誘われたことをきっかけに、レコード・マネジメント業界に飛び込んでいくことになる。

役員の座を捨て、大学院に通いながら草の根運動を始める
 彼が取り組みたいと思っているのは、地方公共団体の記録情報管理の、いわば近代化だ。そこをクリアすることから始め、情報公開をもっと日常的なものにし、行政の側と市民の側の情報格差を解消する。その上で、市民の政治参加、行政参加を推進していきたいと思っている。地方分権を推進するためにも、その点は重要な問題だ。公開するためには、公開されるべき記録・情報が保管されていなければ始まらない。そうした記録・情報を保管するためには、そもそもそうした記録・情報を適時適切に作らなければいけないのが道理だ。

 そのためのハブとして、どのような立場に自分を置くのがいいのかを彼は今、模索している。

「その点は実は、日本では企業も遅れている部分なのです。だからビジネスの世界の常識をそのまま行政に持ち込めばいいというほど、簡単なことではありません。アメリカをはじめとする海外事例に学ぶべき点も多い分野です。それも含めて、ごりごりと推進していかなければいけないところだと思っています」

 渡邊氏は、2013年4月から公文書管理・情報公開について研究するため、学習院の大学院に通い始めた。日中に席を外すことが多くなるので、常務執行役員を辞し、会社も一度退職し、1年契約の理事となった。

「とはいえ、役員会には全部出席しますし、組織を見る目線は今までとそれほど変わりません。ただ、給料はだいぶ下がりました。毎日出社していますが、ラインとしての責任はないので当たり前です。言ってみればご意見番のような立場でしょうか。もうちょっと責任を持って関わりたいと思ってしまいますが、贅沢ですね」

大学院での研究テーマは、「どのようにしたら条例はできるのか」
 大学院は平日3日間、16時、あるいは18時から授業が始まる。土曜日はほぼ1日。文字どおり、アーカイブズ学専攻という立場で、公文書管理を研究している。

渡邊氏が大学院に通うのはこれが2回目だ。一度目は法政大学のMBAに学んだ。そちらは2008年に修了した。
「アーカイブズ学というのは、歴史的価値のある記録をきちんと管理しましょうというものですが、日本はさまざまな意味で非常に遅れています。

 たとえばアメリカには総合大学のうち、150校ほどにはアーカイブズ学を研究するための院があります。韓国にも多い。ところが日本では、基本的に学習院にしかないのです」

 図書館には司書がいる。博物館には学芸員がいる。公文書館の場合は、アーキビストと言うが、国家資格ではない。アーキビストに当たる日本語もない。そういう専門人材を育成することが大切だと考え、学習院が2008年に立ち上げたのが、渡邊氏の通う大学院だ。しかし、違和感がないわけではない。

「私はもとより、アーキビストになりたいわけではありません。しかし、こういう学問ができる場所は、国内にはここしかありません。ここに通う人のほとんどは、実務を学びたいと思っています。私は制度について研究したいと思っています。ヨーロッパのアーカイブズ学は市民の権利や公文書管理から文字どおり生まれているのに対して、日本のアーカイブズ学は歴史学から来ています。デジタルアーカイブを含めて、古文書や写真などの保存管理が主な分野です。だから、動機としては、ここで私はいささか浮いているわけです」と笑う。

 日本の多くのアーカイブズ関係者は、古文書の目録づくりなどに主に関心がある。いささか政治に関係ありとしても、近代以降、第二次世界大戦に関係する史料の研究が多い。比べて渡邊氏の関心は、どちらかと言えば、人文科学ではなく社会科学系のテーマ、今日的な地方の公文書管理条例に絞られているわけだ。

「今、自治体は1800ほどあります。その中で条例があるのはたった15自治体なのです。つまり、公文書管理法の精神が全くと言っていいほど、地方に伝播していないわけです。そこが大いに不満なのです。しかし、マスコミも含めて、そこに疑問を呈する人がほとんどいない。そこで研究論文の対象として、条例を制定した15の自治体を取材して、その経緯を探ろうとしています。誰が言い出して、誰がどのように主導したのか。まだ半ばですが、全自治体を取材するつもりです。正直、残念ながら多面的な取材まではできていなくて、行政機関側の取材だけなのですが、修士の研究で時間も限られているので、まずはそこまでで満足して、そこから得られる情報を整理したいと思っています」

 つまりは、公文書管理の条例を整備したいとなった場合に、どこに働きかければいいのか、どういう人、組織と協同すればいいのか、そのヒントがわかる。成功事例に学ぶ条件定義である。

「地方議員の人たちにも、自分たちと立場を同じくする人たちが、こんなふうに議会で取り上げてことがきっかけとなって、条例制定まで行くことができたということをわかってほしいのです。と言うよりも、ぜひ知るべきなのです」

 こうした研究というスタンスを取る一方で、渡邊氏は政治の世界にも関心を持っている。

「公文書管理は行政の話ですから、政治や行政にももちろん関心があります。ストレートに政治家や首長になるという道もあると思いますが、そこは悩みどころです。どういうスタンスでいるのが一番、自分に合っているのか、最も活動しやすいのか、理想に近づく近道なのかを模索しているところです」

※次週に続く

(文:赤城 稔)

オープンGイニシアティブ
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渡邊さんも登場する書籍『政治って、もしかしたらおもしろい!