cs09_01_012014年の最初のカバーストーリーでは、日本のマーケティング界の一人者、慶應義塾大学名誉教授、日本マーケティング協会理事長を務める嶋口充輝氏の名著『ビューティフルカンパニー~市場発の経営戦略』のエッセンスを4回に分けて紹介したいと思います。最終回は、クレームをガバナンスに生かすことの重要性について。

 社内外から寄せられるクレームを重視し、それを経営問題としてとらえ、経営トップ自らが本気でクレーム対応に取り組むことが必要だ。

 それと同時に、クレームによって社会の価値観が変わっていることに気づく必要もあると思われる。

「クレームはギフト」とよくいわれる。しかし、誤解している人が多い。どういうことか。「クレーム=ギフト」ではない。クレームはネガティブ情報であり、そのままではとてもギフトにはならない。この言葉の正しい解釈は、「クレームをギフトに変える経営姿勢や仕組みが必要」というものなのだ。

 クレームをゴミとして処理している企業も、いまだにある。ゴミと考えてしまう理由はいくつもある。「取るにたらないもの」「あると目ざわり」「早く隠して、あるいは捨ててしまったほうがいい」「いちいち付き合っていられない」といったものだ。

 もっとも、こうした会社は到底、コーポレート・ガバナンスが機能しているとは思えないし、勝ち組、あるいは生き残り組になるとも思えない。

 マーケティングの観点からいえば、クレームから学ぶべきことはたくさんある。自分たちのミスについて知り、対処するというだけでなく、時代錯誤やマーケティングの誤解に気づくこともあるからだ。だからこそ、クレームは経営問題として取り上げるべきものなのである。

 その意味において、好例だと思うのが資生堂の「お客さまセンター」だろう。

 全体経営会議などで各部の部長が順番に報告をする際に、従来、順番が最後だった「お客さまセンター」の報告を会議の冒頭に持ってきたのだ。それだけで、クレームの位置づけは大きく変わる。

 化粧品のビジネスも決して楽ではない時代だから、どの部も四苦八苦して頑張っている。自信満々に報告ができる部長などは少ない。どの会社でも、こうした会議では最重要部署から報告が始まる。そのため、その後に報告を行う人間は、そこで役員がどういう質問をするか、どういう点にこだわり、叱責するかを見極めようとして、しっかりとそのやり取りを聞いているものだ。ところが、自分の報告が終わってしまうと、ほっとして、もう後の話は聞かない。だから、それまで最後に回されていた「お客さまセンター」の報告など、極論すれば誰も聞いていないも同然だ。

 そこで、経営トップが「大事なのはお客様なのだから、自分たち中心ではだめだ」と考え、お客様の声を重視するために「お客さまセンター」の報告を最初に持ってきたのだそうだ。それだけで顧客の問題は経営問題となり、それこそクレームがギフトに変わった。

 何といっても、経営トップの決意が必要だ。ただ号令をかけても、それだけでは組織はなかなか動かない。特に、成功体験の呪縛に縛られた大企業は変わらない。良いシステムを構築しても、それだけで文化は変わらない。だから、決意を知らしめ、語り継ぐしかない。

 アメリカでの調査データを見ると、製品などに不満を持ったお客さんのたった4%しかクレームをしない。後の大多数は、黙って戻ってこない。だから、非常に貴重なその4%のクレームによって、自らの体質を改善していくことが重要なのだ。

 構造的に、今の時代にふさわしい組織に生まれ変わる。ガバナンスの在り方を変えるチャンスがそこにある。もっとも、そうした認識はまだ少ない。ゴミ処理は言い過ぎであったとしても、いかに早く、うまく処理するかという技術を競っている傾向がまだ強い。そうした中で、資生堂はクレームを経営問題として扱っている数少ない企業の好例だと思う。

“必要悪”という考え方が不祥事を生む?

 一時期、食品会社の不祥事が続いたが、必ずしも食中毒などの事件を出したことで明るみに出たわけではなく、保健所などへの内部告発が発端となった事件も多かったようだ。

 私は、こうした内部告発もまたクレームの一種であると位置づけている。社内からのクレームだ。

 では、経営陣はその事実を知らなかったのであろうか、それとも確信犯として隠ぺい工作を行っていたのであろうか。もちろん、ケースによりさまざまな事情があろうが、傾向としては、次のようなことがいえるのではないかと考えている。

 すなわち、経営者たちは、ある時点から確信犯になったのではないか。たとえば、最初の記者会見で嘘を言った時点で、彼らは立派な確信犯といえる。

 ただ、私が重視したいことは、別のところにある。問題となったような賞味期限の偽装、使い回しなどの行為は、あるいは業界の常識であったかもしれない。そうではないとしても、それほど異常な行動とは言えないことであったのではないだろうか。少なくとも当事者は、たとえそれが厳密にいえば法令違反だということをわかっていたとしても、「企業防衛のためには仕方がない」「誰でもやっている」「たいしたことではない」。そういった意識を持っていたのではないだろうか。

 つまり、誤解を恐れずに言えば、今までは許されていたことが、いつの間にか許されないことになっていた。「そのことに気づかなかった」という側面もあるのではないだろうか。一言で言えば、それは時代錯誤だ。食中毒などの問題を起こしたのでなければ、「何が悪い」という意識になってしまうこともある。別にこうした不祥事や不正を擁護する気はないが、単に犯罪としてとらえるのではなく、どこに問題の本質があるのかを見極めることが必要なのだと思っている。

 現象面で言えば、それまでに、外部からのクレームや内部からの指摘をほとんど無視してきたことが一番の問題なのだと思われる。処理はしてきたが、決して経営問題としては扱わなかった。つまりは誤魔化してきた。あるいは棚上げにしてきた。これはリスクマネジメントの観点から言っても、見過ごせないことであろう。そのために、いつの間にかクレームの意味合いが、昔とは全く違ったものになっていることに気づかなかった。だから、クレーム対応を怠ったところが結局、不祥事を起こしている、つまり不祥事が発覚していると仮定できる。

 どの事案であっても、事前に必ず、何らかのシグナルが出ていたはずだ。考えを改めるためのシグナルだ。それを多分、ことごとく無視してきた。従来の慣習ややり方を踏襲して、時代が変わったことに気づかなかったのだ。今現在のクレームというものは、今という時代の価値観の表れなのだ。そこに気づかず、昔からの対応に終始してしまう。そのギャップが大きい。

 近年のマーケティングの世界では、クレームは、最重要な課題の一つと位置づけられている。1件でもクレームがあれば、真剣に対応しなければならない。その原因を追及しなければならない。なぜならば、前述のように、クレームとして外に出るのはほんの一握りにすぎないからだ。自分たちのミスを知るというだけでなく、自社が今という時代にふさわしいのか、社会的な企業たり得ているかを判断する、それこそビューティフル・カンパニーであるかどうかを確認する。そのための重要な羅針盤であるわけだ。

 誰もがクレームの重要性を口にするが、残念ながら体質はあまり変わっていない。資生堂の例のように、クレームを経営問題として位置づけている企業はまだ少ない。本来ならば、自分たちの行動を現代の価値観に合わせて律していく、よすがとしなければいけないのだ。

ビューティフル・カンパニー』(嶋口充輝著)より