cs03_1_1一度は自殺の淵に立ち、千日回峰行で見性を得た釈正輪(しゃく・しょうりん)老師が説く、この時代を生きるための術。3.11後の今だからこそ、知っておきたい原始仏教の教えとは何か。

「昔も今も、人と人との関わりの中で社会は構成されています。人間関係の中でのみ、私たちは生きていけるのです。そこに必要なのは、”縁”を大切にする心、そして人とのふれあい、人を慈しみ、労わる心ではないでしょうか」と釈正輪老師は説く。

 師は、いかなる殻にも収まらない宗教人であり、思索家だ。

 エープリルフールに、望まれない子供として生を受けた。ヤクザの父を持ち、母親からも疎まれて育った。荒れた青春時代を送り、高校時代に預けられていた禅寺で出会った最初の師、梶浦逸外老師に勧められ、臨済宗妙心寺派、別名「井深の少年院」と恐れられた正眼短期大学に入学したことでその人生が変わった。そこで厳しい修行に耐えた釈老師はその後、数奇な運命を辿る。四大老師に師事し、禅(臨済宗・曹洞宗)のほか、真言宗、そして天台宗を兼学、仏門を歩みながら、一時期、教師や商売の道にもその身を置く。

 そうする中で、釈老師は宗門の僧侶であることにいつしか疑問を抱くようになったという。お金や権勢を保持するその姿に嫌気がさし、堕落した僧侶の世界を捨て去りたいと思うようになったのだ。

 その後、釈老師はさまざまな縁に導かれてマザー・テレサと出会い、ヨルダンで洗礼を受け、さらにメッカの巡礼をも成し遂げる。それがゆえに、仏門からはバッシングを受け、世間からは偽坊主とまでいわれた時期も長くあった。それでも釈老師は、何かに導かれるがままに、独自の道を突き進んできた。

 そんな師の言葉は、私には重い。

「しかし今、私たちは技術進歩の恩恵を受けて、人と関わらなくても生きていけるようになったのです。ある意味では、コミュニケーションはむしろ密になったともいえます。会う時間がなくとも、携帯電話やソーシャルメディアなどを使って、気軽にコミュニケーションを取ることができるからです。しかし、その先に生身の人間がいるとしても、間に機械やネットワークが入ることで、温もりやふれあいは失われ、関わりは嫌が負うにも稀薄になっていきます。その結果、人と直接、どう関わっていいかわからない若者が増えているのです」

 仲間を持たず、さまざまな縁と疎遠になることで、人は決して強くなることはない。ほんのちょっとしたことで、魔が差すことも少なくはない。独居老人だけでなく、日本には孤独が満ち溢れてしまっている。

 また釈老師は、もう一つの危険をそこに見る。「冷静な感情が失われている」と言うのだ。

 感情的であることは人間の特性だ。それは否定するものではない。しかし、電話やチャット、あるいは夜中のメッセージのやり取りは、一つ間違えれば、相手の気持ちを斟酌し、相手の感情を思いやることを忘れさせ、また自分の言葉を選ぶことも忘れさせてしまう。つまりは、冷静さを欠いた物言いをしてしまうリスクが高い。その結果、誤解を生む、相手を傷つける、そして炎上するといった事態を生んでしまう。

 手紙やハガキの時代ではない。実際に会いに行って話す時代ですらなくなっている。便利であるがゆえに、一呼吸、間を置いたり、冷静になる間合いをつかみづらくなっているというわけだ。

「私も同じです。気を付けていないと、弟子にはすぐに感情的なショートメールを送ってしまいます。ハードの進歩ほどに、心のソフトウエアは進歩していません。相手の気持ちよりまず自分が先に立ってしまう。しかも、その気持ちもうまく伝えられない。それが人間関係の歪を生む大きな要因の一つではないでしょうか。常に一拍、二拍間を置き、相手の立場に立って考えてみる。そうした訓練を、家庭や学校で行う必要性が高まっているように思います」

(文:赤城 稔)

法話だけでなく、礼法や日本人のルーツなど、釈老師の講話のテーマは多彩だ

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